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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(オ)1197号 判決

上告人

松田アサコ

右訴訟代理人

鈴木悦郎

外六名

被上告人

検事総長

安原美穂

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告の負担とする。

理由

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、本件離婚の届出が、法律上の婚姻関係を解消する意思の合致に基づいてされたものであつて、本件離婚を無効とすることはできないとした原審の判断は、その説示に徴し、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(宮﨑梧一 栗本一夫 木下忠良 鹽野宜慶 大橋進)

上告代理人鈴木悦郎、同山中善夫、同村岡啓一、同林裕司、同伊藤誠一、同森越清彦、同渡辺英一の上告理由

一、本件の争点は、法律上の夫婦である上告人と訴外亡櫻庭金三郎(肺ガンにより死亡。療養中生活保護を受けていた。)とが事実上の婚姻関係を維持継続し、これを解消する意思がないのに、

(一) 空知支庁福祉課担当吏員から、上告人の稼働収入分二万円は生活保護支給金約四万四、〇〇〇円か、控除しなければならず、控除せずに生活保護を受ける場合には詐欺罪になる旨告げられたため、その罪責の恐れと家族の生活困難及び夫の療養困難の事態を慮つて、法律上離婚すれば従来とおりの給付を得られるものと考え、止むなく協議離婚届を提出した。(届出時の緊急避難的状況)

(二) 届出後の夫婦の生活関係は届出前と変更がなく、夫の死亡後も上告人において夫の債務を承継し祭祀を主宰するなど、法律上の配偶者と同一の権利義務を承継してきた(届出後の夫婦共同生活の実体)という特別な事実関係の下で、法律上なお離婚の意思を肯認しうるか、という点にある。

二、原判決は、上告人の本件協議離婚の届出に至つた緊急避離的状況、並びに法律上の夫婦と何ら変わらぬ届出後の夫婦共同生活の実体を上告人の主張どおり認定しながら、「控訴人と亡金三郎とは、不正受給した生活保護金の返済を免れ、且つ引続き従前と同額の生活保護金の支給を受けるための方便とするため、法律上の婚姻関係を解消する意思の合致に基づいて本件届出をしたものであるから、右両者間に離婚意思があつたものというべきであり、また、右に認定した諸事情があるからといつて、本件離婚が法律上の離婚意思を欠くものとして無効であるということはできない。」(原判決理由、一、1末尾)と述べて、上告人の請求を棄却した。右判旨によれば、原判決が「離婚意思」の意義につき、大判昭和六年二月二七日法律新聞三二三三号七頁、同昭和一六年二月三日民集二〇巻七〇頁、最判昭和三八年一一月二八日民集一七巻一一号一、四六九頁の各判例を踏襲して、「離婚意思」とは「法律上の婚姻関係を解消する意思」であると理解し、上告人と亡夫金三郎との間で協議離婚の届出に向けられた意思(届出意思)の合致があつた以上、「法律上の婚姻関係を解消する意思」即ち「離婚意思」の合致があつたものと判断しているのは明らかである。

三、判旨の言うとおり「離婚意思」の内容について、「夫婦共同生活の実体を解消することに向けられた意思」(注釈民法(21)一二一頁は「事実上の婚姻関係を解消する意思」と表現しているが同趣旨である)ではなく、「法律上の婚姻関係を解消する意思」であるとしても、協議離婚の届出に向けられた意思(届出意思)の合致が認められれば、直ちに「離婚意思」が帰結されるという訳のものではない。

なぜならば、判旨の言う「法律上の婚姻関係を解消する意思」とは「法的に明認され、且つ効力を付与された夫婦関係を解消することに向けられた意思」(法曹会、最高裁判所判例解説民事編昭和三八年度三四三頁)という意味であるから、「離婚の届出に向けられた意思」とは観念上別個のものであり、離婚を有効と判断するためには、届出意思の他に別個にその存在が確定されなければならないからである。

通常、離婚の届出をなす夫婦は、その離婚が戸籍に記載されることによつて以後は一般社会より法律上夫婦ではないものとして遇せられることを了知して届出をするのであるから、原則的に「離婚の届出に向けられた意思」(届出意思)と「法的に明認され且つ効力を付与された夫婦関係を解消することに向けられた意思」(判旨のいう離婚意思)とは融合的に併存するものと考えられ、任意による届出意思の合致が認められれば、判旨のいう離婚意思が推定されることにはなる。

しかし、極めて例外的ではあるが、届出意思の合致はあつてもなお法的に明認され、且つ効力を付与された夫婦関係の解消を欲しない場合が存在する。即ち、届出後の生活関係においても、夫婦共同生活の実体を維持継続するのは勿論のこと、法律上の夫婦関係と内縁関係との差としてあらわれてくる法的効果について、法律上の夫婦関係と同一の法的効果を享受する場合である(事実上、夫婦関係を継続する意思を有しながら、離婚届を出す場合、通常は「其ノ届出後ニ於ケル関係ハ之ヲ内縁関係ニ止メ少クトモ法律上ノ夫婦関係ハ一応之ヲ解消スル意思」(大判昭和一六年二月三日民集二〇巻七〇頁引用)であると推認できるが、右の例外的場合は内縁関係に止めようとするのではなく、そのまま法律上の夫婦関係の法的効果を享受しようと考えている点で、事実上の夫婦関係を継続しながら離婚届を出す場合の通常の意思解釈の更に例外をなしているのである。)。

従つて、右の如き極めて特殊な場合には、届出意思から判旨のいう離婚意思、即ち「法律上の婚姻関係を解消する意思」は推定されず、「離婚意思」は否定されることになるのである。

大判昭和一六年二月三日前掲判決が「事実上夫婦関係ヲ継続スル意思ヲ有シナカラ右ノ届出ヲ為ス場合ニ在リテハ其ノ届出後ニ於ケル関係ハ之ヲ内縁関係ニ止メ少クトモ法律上ノ夫婦関係ハ一応之ヲ解消スル意思ニテ即法律上真ニ離婚ノ意思ニテ右ノ届出ヲ為スモノト認ムヘキヲ社会ノ通念トシ極メテ明確ナル反証アルニ非サレハ其ノ離婚届ヲ以テ法律上ノ夫婦関係解消ノ意思ナキ虚偽ノ届出ナリト認メ得サルヘキモノトス」と述べて、反証の余地を残しているのも、同様の趣旨に出たものである。

四、本件における上告人の主張は、届出時の緊急避難的状況及び届出後の夫婦共同生活の実体、並びに内縁の法的効果を否定する権利義務の承認といつた特段の事情を根拠に、本件こそが正に、届出意思から判旨のいう離婚意思が推定されない例外的場合に該当するというものである。

本件の場合、上告人及び亡金三郎が事実上、夫婦としての共同生活を維持継続していた事実に加えて、次の諸事実を重視する必要がある。

(一) 一家四人の家族の最低限度の生活を維持し、且つ経済的に夫金三郎の療養を可能ならしめようとして、親族も承知の上で仮装離婚したこと。

(二) 夫金三郎の死亡後、同人の家財道具一切を上告人が引き取り、金三郎の借入金を上告人が支払つていること。

(三) 亡金三郎の遺骨は上告人において引き取り、初七日、四九日、一周忌、三周忌等の法要は全て上告人が主宰していること。

(四) 民生委員を初め周囲の人にとつても、上告人と亡金三郎とが夫婦であることは公知の事実であり、民生委員の「あなたはなぜ離婚届を出したんですか。そんなことをしなくてもいいのに。」の言葉にみられるように仮装離婚の便法が対外的にも知られていたこと。

これらの事実は、「法的に明認され、且つ効力を付与された夫婦関係を解消することに向けられた意思」を推認させるものではなく、寧ろ内縁関係と対外的に理解されることを拒否し、主観的にも客観的にも「法的に明認され、且つ効力を付与された夫婦関係」であり続けようとする意思の表れであるから、前記大判昭和一六年二月三日判決のいう、離婚意思の推定を覆すに足る「極メテ明確ナル反証」に該当するものと言うべきである。

五、然るに、原判決は漫然と「右に認定した諸事情があるからといつて本件離婚が法律上の離婚意思を欠くものとして無効であるということはできない。」と述べて(原判決の趣旨が反証として未だ十分でないといつているのか、そもそも反証の余地を認めていないのか判然としない。)、右反証の存在に拘らず、離婚意思を認定した点において、審理不尽の違法があり、右は判決に影響を及ぼすこと明らかな法適用の誤謬に他ならないから、民事訴訟法第三九四条及び同法第三九五条一項六号により破棄されるのが相当である。

右のとおり上告理由を提出する。

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